鞆の港

鞆まちづくり工房

−竜馬ゆかりの町家・魚屋萬蔵宅再生プロジェクトー

はぐってみたら、見えてきた!! 大掃除&改築痕跡探し(04/08/29)

1.改装に改装を重ねた魚屋萬蔵宅
 幕末ころの建物と言われている、魚屋萬蔵宅ですが、現在は、並びの他の建物と違って、表からは、いわゆる伝統的な建物には見えません。もとは同じように軒やひさしの出た、町家建築だったのですが、昭和の時代(戦後)に「近代的な外観」の流行や、中の利用の仕方(住まい方、店の内容など)の変化など、その時々の事情によって、建物の改装が行われてきたようです。
しかし、その改築の部分(柱や壁、天井や床を覆うベニヤ板)を取り除いていくと、当初の伝統的な建物としての痕跡が見えてきました。

 また、改築は戦後だけではなかったようです。例えば、母屋中央にある階段部分は、後からすえつけた階段(取り外しできる箪笥のようなつくり)であり、そして、その階段を上がる部分の1階天井(2階床)は、小梁の跡や何かを引っ掛ける金具の跡などが見られ、建てられた当初は天井だった部分をある時期に切りとって、さらにその切取り部分を開け閉めできる時代もあったのでは、と想像されます。さらに、その上がり口の、いわゆる「談判の間」の入口には、土壁であったことを示す竹小舞や貫の穴の跡が見られました。
こうしたことからは、2階部分が当初は屋根裏的な場所であったのを、ある時期に階段を付け、さらにそれぞれ居室化した、ということも考えられます。
 このように、建物に残る痕跡を追っていくと、単に、最初に建てられた時の状態の復元と言うだけではなく、建てられてから現在に至るまでのダイナミックな建物・空間の変化が、魚屋萬蔵宅の住まい方、使われ方の歴史、さらには、鞆のまちの歴史とも絡みあって、浮かび上がってくるのです。


2.作業の概要 「痕跡」探しの手順

 午前中は、作業がしやすいように、屋内に残っていた家具や書籍などを整理して倉庫に移す人。柱や梁を覆っていたベニヤを一枚ずつ、はがしていく人。主に二手に分かれて作業を進めていきました。建物の使われていた時代を示す資料などはそれほど多くはありませんでしたが、時代がわかる新聞や看板、商売に関する記録など、手がかりはとっておくようにしました。
 ベニヤ板等をはがすのは、なかなか力仕事でしたが、主だった柱や梁、壁面等は見えるようになりました。

 ベニヤをはがす
荷物の整理

 午後は、さらにそれらの作業で出たほこりや土壁・ねずみの糞?などのゴミを掃除し、そして、いよいよ、現れた柱や梁を見ながら、痕跡調査を行いました。
 まず、1階と2階それぞれの平面図の上で、柱のある部分を網羅するように縦横の軸線を引いて、それぞれの柱に(「い10」「へ6」など)番号を付けていきました。

図表に番号をつける

 これによって、それぞれの柱を区別したり、1階と2階で共通している柱を探したりということが容易になりました。
 そして、その上で、柱や梁に残るほぞ穴(他の部材を差し込むためにくりぬかれた穴)や継ぎ手(違う部材どうしを1本の部材として使うために継いだ跡)を探し、チョークでその部分を縁取りしていきました。これによって、遠くからでも、また、少し暗くても、どの柱にどんな痕跡が残っているか、一目でわかるようになりました。

梁に残る痕跡をチョーキング 番号と痕跡の印が付けられた柱

 まだまだ、本格的に解体しないと見えてこない(隠れている)痕跡もありますが、それでも、建物全体にずいぶんといろいろな跡が残っていることが分かりました。


3.「痕跡」ってなあに? 私たちが見つけた「痕跡」
(1)ほぞ穴の痕跡
 柱の側面に壁の下地となる竹小舞(たけこまい)や貫(ぬき)を差し込む穴があり、そのあと、別の木で埋められた跡がありました。もともと壁があったのをこわして部屋の入口にした可能性があります。

(2)敷居・鴨居に、建具の変わりに壁を取り付けた跡
 敷居・鴨居には引き違い戸の入っていた跡がありますが、土壁が付けられています。あとから、居室を分ける際に設けられたものとおもわれます。

後から付けられた壁真中より右側

(3)天井を抜いた痕跡

 母屋中央の階段部分の天井は、梁が切られた跡が見られます。最初は天井だったものが、後から開けられたものと見られます。他にも蝶番のような金具も見られました。
階段の降り口

(4)大梁に残る痕跡
ベニヤをはがすと立派な丸太梁が現れました。道路側の大梁には棟梁さんによって書かれた「昭和35年、店舗・浴室改築」という札が打ち付けられていました。また、木材をはめ込んだ「ほぞ(溝)」も幾つか見つかりました。
梁に打ち付けられた木札 左には「ほぞ」跡

(3)下屋・ひさしの痕跡
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 もとのひさしは今は残っていませんが、その庇が乗っていたと思われる土壁の形跡や桁(けた)などが見られました。ただし、庇がどれだけの長さ出ていたかは、周りを見て想像するしかなさそうです。


西側正面の下屋の跡(敷地北側(左)と南側(右))

(4)床の高さの痕跡
昭和の改造により洋品店として改装された部屋の柱を取ると、奥の部屋の床の高さに近い位置に痕跡が見つかりました。手前の部屋も奥と同じ高さの床だったと考えられます。

(5)土間の痕跡
 土間を覆っていた陳列棚(昭和39年に設置された?)を取り除くと、下から、おくと同じレベルの土間とそこに埋め込まれた敷石が姿を現しました。
陳列棚下から現れた昔の土間と敷石


4.「痕跡」から復元図へ、そして将来の姿へ

 様々な痕跡が見えてきました。大きく言うと以下のようなことが言えるのではないでしょうか。・部屋割りの基本的な構成(2列2段型(田の字)の間取り)があった。・1階・2階とも、庇の出方は確認できる跡が見つかった。・土間は重ね塗り下部分や居室等の床下を確認することで更に確認ができるものと思われる。もともとの土間には、敷石などが頻繁に見られ、鞆の他の町家のように甕などが埋められている可能性も否定できない。・2階はどうやら建築当初とは間取りなどが変わっているようだ。階段を中央につけたことにより周りの壁などを合わせて変更したのか?
 今回は、母屋を中心に調べたため、土間や蔵・中庭はまだまだ分からないこともありますが、こうした発見を通して、昔の鞆のまちなみを正しく再現したり、昔の町家が持っていた知恵や工夫、洒落た意匠などをうまくこれからの再生計画に取り込んでいくことが大事ではないでしょうか。
 痕跡調査は今日だけで終わったわけではなく、さらに、専門の先生や町の大工さんなど、鞆の町家に詳しい方に見てもらったり、昔の様子を知る人達にインタビューを重ねたり。そして、工事に入ってから、さらに刻々と発見が生まれてくる可能性は高く、そういう発見に現場で柔軟に対応して、いいものにしていくことができるようにしておく必要があります。
 今日で終わりではなく、今日の成果をきっかけにこれからさらに注意してみていくことが必要ではないでしょうか。

 とにかく、ほこりまみれになって作業に参加された皆さん。どうもお疲れ様でした。
今川俊一
040829

当日の作業メンバー:松居秀・松居敏・浜下・松岡・鈴木晋・吉川・岩室・大浜・今川・山本・岡本良



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